【070625】

 回復したので観光再開。東山方面へ。
 京阪三条界隈で所用を済ませた後だったので、着いたのが昼前。
 朝も食べていなかったのでさすがに空腹を覚え、二年坂入口で見つけた食事処に飛び込む。

 準和風な食事。普段の自堕落な生活ではありつけないので真にありがたい。もちろん、美味い。ちなみにコロッケの中はオカラだ。

 上のセットだけでも結構な量があったのに、余計な色気を出して、右上のパフェまで頼んでしまう。中ほどの褐色の塊は、名称は忘れたが、麦のムース。
 もちろんこれも美味くいただいたが、さすがに腹には応えた。



 さて、汗も退いて腹もこなれたところで店を出て、二年坂とは向いの丘を登り、今日の最初の目的地、高台寺へ。
 全く「高台」寺とはよくも名付けたものだ、と感嘆するほどの「高台」っぷりだ。

「今日、高台院さまへお目にかかり、鎌田さまと共に奥庭から出て行きかけたとき……」
「ふむ?」
「ふっと、気づきまいた」

 (中略)

 大介が奥庭を出かけて、一瞬、はっと足をとめたのは、塩部屋の外壁と石組みの境のところ一ヶ所が黒く口を開けているのを発見したからであった。

 (中略)

 一瞬、ふしぎにおもって足をとめたのと同時に、なんと、その黒い穴がすっと白い壁になってしまったのだ。
 これはその穴の向こうにだれか人がいて、高台院の居間をのぞき見ていた、ということになる。
(文春文庫『火の国の城(上)』:池波正太郎)

 またミーハーな理由で訪れたことだ(苦笑)。
 とはいえ、現場検証しに行ったワケでもないので、足を運んだときには小説うろ覚え。てか巡覧しているときには念頭にもなかった。
 なので現場を写真にも収めていない。


 帰宅してから日記を書く段になって、取っておいたリーフレットの図を見てみると、「土蔵」と記された建築物が一箇所だけ。
 もちろん、現存していないところの可能性のほうが大いにあるのだが、もし、「土蔵」というのを鵜呑みにするなら、右で示した箇所になるのかな?

 が、文章転載のためにあらためて小説を読み返してみると、掲載した箇所より前の、訪ねてきた加藤清正一行の前に高台院(北政所・ねね)が姿を見せる場面で、
 「この霊山観音のある地帯一帯が、むかしは高台院の屋敷があったところらしい。」
 と記述されていた。
 どうやら、作者オリジナルの舞台だったようだ。

 あいも変わらず粗忽なことだが、まあ、庭園や竹林も美しく観光自体楽しめたし、先にも述べたが、実際回っていたときには頭の片隅にもなかったのだし、良しとしようかと自己完結しておく。
 
 高台寺を後にして、石塀小路を抜け、近くの法観寺方面へ足を運ぶ。
 法観寺の塔、いわゆる「八坂の塔」の界隈は、歴史的な大型建造物の常に眺めながら、歴史伝統的な町並みを臨めると言う、自分の感覚からすれば、「京の町を濃縮したような景観」なのだ。
 ガイドブックを開いたときに、真っ先にチェックが入ったのがここと、先にも出た石塀小路。



 八坂の塔を背に西へ進み、六道珍皇子を見つけ、「冥界へ通ずる」という井戸を一見。
 その後、中学の時の修学旅行の、数少ないかすかな記憶に残っている三十三間堂へ。
 これは記憶になかったことだが、仏間に炊きこめられた香が今回の印象には深く、薄暗い回廊の上の梁に掲げられた数々の巨大な扁額が、濃縮された荘厳な雰囲気をさらに強調していた。

 中の写真は当然撮れないので、外観でも撮っておこうと思ったが、そうなるとただの長細い、撮りにくいだけの建物なので、撮影もそこそこにそそくさと帰宅。
 

 夜を向かえ、再び支度をしてバスに乗り、今夜のお目当てのおでん屋へ。
 選んだ理由がまたミーハー。

 さすがに本格的なことで、最初に蛸を頼んだが、そこから下ごしらえが始まるそうなので、出てくるまでに、他のものを2皿ほど平らげる。お代わりの度に大根は必須。出汁を含みつつ甘味もたっぷり残っていて、辛味も程よい。

 で、蛸、登場。
 これまたぶっとい足の切り身で、甘さが濃く、軟らかくも確かな弾力に、口の中が喜んだ。

 が、3皿10品目ほど、それとビールを頼んだワケなのだが、
 この会計が今回の旅行で一番の食費になるとは。
 そこそこに覚悟をしていたが、「おでん」ということで正直侮っていたこともあって、衝撃は大きかった。
 値段の書いていない店は怖いということを、身をもって知った一夜だった(苦笑)。
 ※一庶民の正直感想を語っただけなので、物の価値がちゃんと分かる人ならば当然の価格かと思います、ということを、お店の名誉のために敢えてお断りしておきます。

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